外から家に戻ってくると必ずスキッパーキと遊ぶ
元々は買い物している間、車で待つスキッパーキへの「おりこうさん」「お疲れ様」的な事で、帰ってきてから一緒に遊んだような気がするのだが、最早買い物に付き合ってもらって車で「待っていた」という事実に関係なく、外から帰ってきたら、一緒に遊ぶのが「お約束」という事にスキッパーキの中ではなっているらしい。
帰ってきてから遊ぶ様になったのはいつからか覚えていないのだが、散歩から帰ってきてもとても元気で、散歩に今行ってきたばかりだと言うのに、パワフルな遊びをするサムの姿がよく見られるようになった。
むしろ散歩しているときの方が落ち着いている。散歩してきた意味がないのではないのかと思うぐらいの遊び方なのだ。
そこで、当たり前だと思っていた散歩というものについて考えてみた。
そもそも時代と共に犬との関係、接し方、あり方が大きく変わってきている。
見かける犬種も子供の頃とは大分変わった。
子供の頃犬を飼うと言ったら、「犬=番犬」であり、ほとんどの犬は外飼で、まさに家を守るガーディアンで番犬だった。
散歩でよく会うのは中型犬、大型犬が殆どで、セント・バーナードやジャーマン・シェパード・ドッグ、ラフ・コリー、ダルメシアンをよく見かけた。偶にジョンと同じボクサーもいたが、皆大変大人しく黙々と歩いていた。
吠えたり、向かってきたりする犬を見たことがなく、散歩は道路の端を歩くのだが、殆どすれ違うこともなく必ず道を挟んだ状態で挨拶する程度、交流することもなくそれぞれのパートナーと散歩をしていた。
大型犬同士がすれ違うのにはまあまあ道幅がいるので、あえてかち合わないように気を使っての事なのだが、淡々と散歩する感じだった。
犬を飼っている何処も同じような感じで、散歩することがおそらく唯一外を出歩くというものだった。
その散歩も走り回ることはせず、寄り添ってペースを合わせてくれてゆっくり歩いてくれた。
ジョンは常に穏やかで、散歩している時も家で番をしている時も変わらず落ち着いていて大人しく良い性格だった。
散歩以外はどこも番犬として外で暮らしていた。
家の中に大型犬がいるのは海外の映画、ドラマの中だけだった。
「犬の散歩」犬を飼っていれば犬の散歩することは当たり前。
ペット先進国のドイツでは野外での散歩させることが法律で定められているが、1日2回以上合計1時間以上散歩させなければならないという改正法案さえ出されているぐらい散歩をすることは当然の義務。
流石ペット先進国だ。
日本とは土壌が違うが、ペット守る姿勢は見習いたい。
犬種により必要とされている散歩の時間も質も違うし、散歩の目的も変わってくるのだが、エネルギーの発散目的が散歩であるかのように勘違いをしていたこともあった。
散歩をするのは何のため?
・体を動かす(適度な運動)
・ストレス解消(気分転換)
・コミュニケーションを深める(信頼関係構築)
犬もヒトも散歩するという事は基本的に同じだった。
よく考えれば当たり前のこと。だけど今まで大して気にせず考えたこともなかった散歩の意義。
納得した。
とても良く分かった。散歩だものね。そう散歩なのだ。
散歩にスポーツと同じ運動を求めていない。
外に出て周りの状況を見て感じて気分転換し、一緒にいる事でより一層親近感を持つ。
そうだった。
散歩とはそういうものだった。
サムも一緒。散歩は散歩なのだ。
楽しい大切な時間でもある散歩。
犬としての情報収集、偶に他の犬とも交流する貴重な時間の散歩。
家の中での役割と全く異なる役割を果たす場所。
ちょっと散歩ぐらいの軽い気持ちでいたけれど、サムにとってはとても多くの大切で重要な事要なのだと認識できた。
そういえば、サムとの散歩も時と共に変わっている。
気持ちの変化と信頼することで余裕ができた事もあるのだが、楽しんで散歩するスキッパーキを見るととても嬉しくなる。
結局、外から帰って遊ぶのは散歩とは全く別物で、買い物から帰ってきて遊んだ事が楽しい事としてインプットされ、玄関入って居間に入ればお愉しみの時間となったようだ。